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前立腺がんの10年後の放射線の副作用で 腎臓病、胃潰瘍、尖圭コンジローム、白内障…まだまだ続きます。








前立線癌 放射腺 治療副作用




前立腺がんの10年後の放射線の副作用で
腎臓病になった夫は…。


1月末に入院、2月退院、2月末入院、3月18日退院。
しかし、3月もこれだけでは終わらなかった。

3月25日夜、タール便が出た!
いわゆる下血。
余りに真っ黒で驚く。
3月26日(日)タクシーで時間外外来へ。
胃から出血したのだ。
輸血2本。
27日まで絶食絶飲。
28日胃カメラ、出血箇所確認。
細胞採取。
胃潰瘍。
1週間後また胃カメラ。
細胞組織の結果は1週間後。
良性。









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20日ほどの入院。
退院が近い。
なぜ何カ月も入退院を繰り返すのか?
2月、3月の退院日をカレンダーで確認し
愕然とする。
2日とも不成就日だったのだ。
余り大安,仏滅とか気にしない方なのだが
不成就日だけは昔から叔母や母に言われていた。
何をやっても悪い結果になるという日。
月に平均4日ほどある。
ある意味仏滅より悪い。

仏滅でも良い、不成就日だけは避けようと
4月14日に退院する。
4月17日、38度1分の熱が出る。
カロナール錠で下がる。



数ヶ月車の運転をしていない。
かなり不安。
退院翌日夫は運転し買い物に連れていってくれる。
夫は車に乗ったまま駐車場で待つようになる。
両側腎瘻造設をしているのでパックを
二つ持ったまま歩くのは人目もあるし…
外出用に見えないようにふくらはぎに
小さなパックを付けるというのもある。
数回しかしなかったように思う。



胃潰瘍の食事を作るようになる。


4月28日外来予約日。
5月26日、泌尿器科、内科、皮膚科外来。
尖圭コンジローム(ヒトパピロ―マウイルス)
になったのだ。
性器にウイルス性のイボが出来る。
2月、3月に入院していた時からできていたらしいのだが
小さいものでポロっと外れたという。
入院中に泌尿科担当医に話すと皮膚科を紹介しようかと
言われたらしいのだが、外れたから良いと断ったらしい。
この時に行っていたら…
カリフラワーの様に大きくなってから
こんなんが出来てと見せる夫。

皮膚科では液体窒素で凍結治療では
難しいと言われる。
レーザーで取り除いた方が良いと言われる。


数年前に右目白内障の手術を受けていたが
ステロイドを長期にわたって飲んでいるためか
左目も白内障に。
ステロイド、恐るべしです。
皮膚も眼も骨も全てに渡って副作用が出てくるらしい。



6月1日右目を手術した眼科へ。
7月5日が手術日に。
しかし、手術当日血糖値が高く中止に。
総合病院の糖尿病内科を受診することに。



この間に血尿が出たり、カテーテルが詰まったり
時間外に行くことも再々。
まだまだ試練の時は続きます。







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前立腺がんの10年後の副作用で腎臓病になった夫は…両側腎瘻造設術を受けることに。










腎臓病


前立腺がんの10年後の副作用で
腎臓病になった夫は…。
12月17日が2015年最後の外来の日。
年が変わって2016年1月27日夜、
血尿が止まらず時間外外来に。
1月28日次の日も止まらず、
息子に仕事を半日休んでもらって入院の支度をして
総合病院へ。
入院中も輸血をする。
原因が分からず、内視鏡で膀胱にある血の塊などを
取り除く手術。
これで血尿はでないであろうと退院の日が決まる。










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が、担当医が日を決めた途端、又血尿を出始め輸血。
2月16日に両側腎瘻造設術を行うことに。
腎瘻管理のレクチャーを受けに。
毎日腎瘻カテーテルを入れているところを
清潔にして傷痕パッドを貼りなおす。
カテーテルを固定テープで止める。

2月26日夫の3番目の兄夫婦に夫の退院を頼む。
が、28日日曜日又両方のパックが血尿で真っ赤。
救急車で時間外外来の入り口から。
再入院。
しかし、血尿は止まらず、毎日の1本の輸血。
3月3日血尿が出ている原因が分かり
心臓血管科の医師が泌尿器科の医師が見守る中、
手術を行うことに。
尿管の近くの動脈の血液が尿管に流れ込んでいたらしい。
その日は夫の個室に泊まることになっていた。
私の64歳の誕生日だった。
毎年誕生日に私の長兄が電話をかけてくる。
(4人兄妹が2人兄妹になってしまってから毎年)
案の定、夫が手術をして入院していることが
わかってしまう。
内緒にしておくつもりはなかったが
落ち着いたら話そうと思っていた。





心臓血管科の医師が手術のことを説明に来る。
血液というのは流れが決まっているわけではない。
いつも流れは変わっているので、今は手術が無事
成功したがどうなるかは分からないと…。
幸い何も起こらなかった。
泌尿器科の医師も上手くいった手術だったと話す。


3月16日退院。
3月17日兄夫婦と娘とが遠方から
家に見舞いに来てくれる。





しかし、3月もこれだけでは終わらなかった。






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タグ:腎臓病
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2015年長兄が亡くなり、夫は感染症で熱が。










前立線癌 放射腺 治療副作用


前立腺癌の放射線治療、
10数年後に現れた副作用は…。
今回は少しその話からそれてみる。



7月に亡くなってから仏壇の隣に寝るようになった
私は独り言が多くなった。

昨晩は2カ月ぶりに自分の寝室のベッドで眠った。
下で慣れたのか起きたら腰が痛い!
ベッドがもう長年使っている物で
固くなくなったからだろう。
今晩はもうベッドパッドでなく敷布団を
上に敷いて寝てみよう。






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先日のブログの続きを書こう。
2015年9月に亡くなった長兄の初七日、
二七日と七日毎に母屋で兄姉が集まりお念仏。
夫は感染症の熱がちょこちょこ出てろくに
お念仏にも行けない状態が続く。
私一人で行ったことも。

長兄の四十九日には2人そろって出席できる。

夫は七人兄姉の姉2人、兄4人。
一番下の五男である。
きっと甘やかされて育ったと思われる。
長兄のことは「にいに」長姉のことは「ねえね」
その他の兄3人、姉は名前で呼ぶ。
でも姉兄は夫のことを○○ちゃんと呼ぶ。
ん?
よく考えたら私もだった。
私は上に3人の兄。
一番上だけ「大きい兄ちゃん」後は名前だった。
私と4歳上の兄は59歳で亡くなり、
8歳上の兄は68歳で亡くなった。
10歳違いの長兄と私だけの2人だけになってしまった。




夫の話に戻そう。
毎日ではないが散歩にも行くようになる。
しかしいつ熱が、高熱が出るか不安だったに違いない。


今回は前立腺癌とは違う話になった。
前立腺癌の放射線治療の副作用のことを
次には書くことに。






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尿素窒素、クレアチニンが基準値より大幅に高く、血色色素が低い。透析は免れたが…。










前立線癌 放射腺 治療副作用



放射線が当たった膀胱が固くなり、
いびつな形になっていると担当医に言われる。
総合病院は2か月おきになるが
その間は民間の内科、心療内科などに通う。
大腸とかも放射線が当たっているのだろう。
下痢になったり、便秘になったり…
もともと内臓が弱い。
総合病院の第三内科で胃カメラ検査。
ホルモン注射(リュープリン)も3ヶ月注射から
6ヶ月注射になる。






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2015年7月3日から13日まで
総合病院に入院。

かかりつけの内科で血液検査。
尿素窒素59.6
クレアチニン6.7
血色素量8.0
内科医が直接家に電話をかけてくる。
早急に泌尿器科病院、または
今、かかっている総合病院に
行った方が良いという。
このままだと透析を受けることになる。





基準値は
尿素窒素:7~21
クレアチニン:男性~1.00(㎎/dl)
血色素量:男性13.1~16.6(g/dl )

尿素窒素(BUN) 腎機能障害や脱水などで高くなる。
クレアチニン(CRE) 腎機能障害や脱水なので高くなる。
血色素量(HGB・ヘモグロビン)酸素を運ぶ役目がある。貧血があると低下する。




7月30日外来。
尿素窒素32
クレアチニン2.52
ヘモグロビン9.5




尿路感染症で高熱が良く出る。
抗生物質投与。
そのたびにお腹の調子が悪くなる。




2014年9月夫の21歳上の長兄が脳梗塞で入院。
2015年9月7日亡くなる。








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2004年12月前立腺癌と告知された夫。その10年後、腎盂腎炎で入院。










前立線癌 放射腺 治療副作用




2005年7月から放射線治療が始まりました。
9月5日35回の放射線治療を受けました。
通院を10回ほどした後、入院して受けることに。
土日は治療がないので帰宅していました。
本人にとってきっと長い長い日々だったと思います。





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1カ月ごとの通院。
それも総合病院は家からは車で40分もかかる。
2006年5月にまた骨シンチ。
2006年11月まで1カ月ごと。
2007年1月から2ヶ月おき。
年を重ねるごとに3ヶ月おきになる。




2013年3月にはPSAが1.04に。
なぜか定期的に病院に行かなくなる。
泌尿器科病院に行きはじめ
過活動膀胱だと言われ薬を貰ってくる。
頻尿になったという。
前立腺癌になった時も症状がなかったのに。
通院している病院には2005年に前立腺癌になり
放射線治療を受けていることを伝えているというのに
血液検査もしなかったという。
尿検査のみ。

そんな病院やなく前にかかっていた総合病院に
行ってみたらとすすめるが夫はがんとして行かない。

そして2014年1月。
ハッキリしない体調で
若い頃に行っていた内科に行く夫。
血液検査。
クレアチニン7.8
尿窒素45.5
ヘモグロビン9.7
PSA12
直ぐに今、通院している泌尿器科に
行った方が良いと電話がかかってくる。
泌尿器科へ行くと尿道カテーテル。
前にかかっていた総合病院に医師が電話。
総合病院に入院することに。
何カ月が通った泌尿器科は本当にヤブだった。



腎盂腎炎と診断される。
1月10日から27日まで入院する。
1月のPSA9だったものが2月外来では4.7に。
3月は6.57。
4月は5.50。
5月は7.55。
6月は7.26。
9月は5.65。




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2004年12月前立腺癌と告知された夫。










前立線癌 放射腺 治療副作用



現職で57歳の時、仕事場の健康診断で
初めてPSA(前立腺)検査が導入された年でした。
正常値は1~4。
しかし夫の検査結果は正常値の10倍もの数値で。
本人は驚きもしないしすぐにでも総合病院へ
再検査に行くところなのですが…
その同時期に、大学の時の親友から久しぶりの電話。
(いつも夫が何かあった時、不思議に
電話をかけてくれる人でした)
自分は大腸がんをしたんだと、お前も
そういう年なんだから検査はしといた方がええぞと。
かかりつけの内科に行きもう一度PSAを調べる。
やはり10倍近い数値が出る。
総合病院へ行くことを進められる。
主人の21歳も違う兄のところへ夫は一人で相談に。






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夫は7人兄姉の一番下。
長男とは21歳離れています。
一年前に前立腺癌で治療を受けました。
数値を聞きに行ったら8で正常値の倍。
それで放射線治療を受けたという話を聞いてくる。
長兄が受けた総合病院に夫と一緒に
長兄も同行するということに。
2004年の12月でした。
12月17日生検の為に1泊入院。


今年中に結果が知りたいでしょうということで
検査結果を聞きに行ったのは12月27日。
御用納めの日でした。
前立腺癌と告知。
ステージは言わなかったが悪性のものが何個も
見つかったと医師から説明を受けたのを覚えている。


年が変わったらすぐに治療に入ると。



ところが実家の父が2年ほど入院生活を
余儀なくされていてその病院からも
転院を勧められ転院したところだった。
そして2004年の大みそか。
実父の容態も悪く、あと数日と言われ家族の人も
最後のお別れをと父の入院先から電話。
顏を見に病院へ。

まさかお正月に亡くならないよねと言いながら
夫とうちに帰った。
2005年元日実父が亡くなった。
3日に葬儀。
4日は総合病院の泌尿器科の予約日。
骨シンチ検査を受ける。
骨に転移していないか調べる。
6日治療方針を決める為にまた泌尿器科へ。
1カ月に一回リュープリン注射を受けることに。
1回目は1月20日。
記憶が定かではないがこの1回目でかなり
PSA数値が下がったことを覚えている。

ある程度下がったら放射線治療を受けることに。








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2ヶ月前に夫を亡くしました。










前立線癌 放射腺 治療副作用






14年ほど前に前立腺癌と告知され、放射線治療をし、
10年ほど経ってから放射線治療の副作用で
腎不全になった夫のことをここに書き残すことにした。





2ヶ月前、夫を亡くしました。
死亡診断書には肺炎。
医師から血液からかなり珍しい抗酸菌が見つかったという。
簡単に言えば結核菌の仲間。
しかし、6月の末に救急車で運ばれ集中治療室の入り、
体力も衰えていた夫にとって抗生物質も
なかなか効かない状態で、結局肺炎で亡くなった。













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5月のゴールデンウィーク最後の日、
2、3日前から高熱が続いたこともあって
倒れ込んで額を切り出血。
救急車で運ばれる。
救急医の女医さんが処置してくれ、
額を6針縫った。
熱もあり、このまま入院して頂いてという医師に
夫は帰ると言い張る。
しかしベッドから起き上がることも出来ず、
そのまま入院。
1週間ほどで退院できる。




1カ月に一度腎盂カテーテル交換があるので
行きたくなくても行かなければならない。
貧血、血清鉄の数値も悪くミルセラ注射、
静脈注射(ブドウ糖&フェジン)を受ける。
私が運転できれば良いのだが本人が
運転して通院しなくてはならない。



14年前の前立腺癌告知から次は
書くことにする。
前立腺癌の時よりここ3年の闘病生活の
方が夫にとっても私にとっても
試練の時だった。
少し続く書いていくことにする。






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